こんにちは。にこです。
突然ですが、わたしは中学2年生の頃、「自律神経失調症」と診断されました。
それから年数を経て、今結婚して子どもが二人いますが、診断されたことも忘れていたぐらい安定した生活をしています。
自律神経失調症と診断された経緯、そこからどう立ち直ったかを何年も前の記憶をたどりながら話していきたいと思います。
(10年も前の記憶ですので曖昧な部分があります)
不特定多数の方に見られるブログにダークなわたしを見られるのは少し戸惑いもあるのですが、
こんな人もいてるんや。
きっと大丈夫。
と思ってもらえたら幸いです。
今、生きることに辛くなっている方が少しでも救われますように。。
もくじ
自律神経失調症と診断された中学2年生
まず、自律神経失調症とは何かといいますと
「自立神経失調症」は特定の疾患名ではなく、体の活動時や昼間に活発になる交感神経と、安静時や夜に活発になる副交感神経の2つのバランスが崩れた状態を意味する慣用表現である。
引用元:自律神経失調症とは(症状・原因・治療など)|ドクターズ・ファイル (doctorsfile.jp)
症状としては、
- 体のだるさ
- 便秘や下痢
- 頭痛
- ほてり
- 動悸
- しびれなど
が挙げられます。
始まりは朝の腹痛
中学2年生の夏頃。
その当時、母親が事故で怪我をして入院していたため、近くの祖母の家で兄弟たちとお世話になっていました。
中学に通うわたしは、朝身支度をして出る用意をするのですが、腹痛がありトイレへ。
便が出るわけでもないのに、お腹が痛くてトイレに座ったまま時間が経つということが毎日のようにありました。
祖母に「お腹が痛い」と相談し、あまりにも痛そうにしていたのか、「学校を休みなさい」と言われることも度々ありました。
その言葉を聞くと学校に行かなくていいという安心からか、腹痛も収まっていました。
また、毎日のように腹痛があり、トイレに行くことが増えると、時計の針が投稿時刻を過ぎてしまうまでトイレから出るのが嫌になっていました。
軽い登校拒否のような状況でした。
学校が嫌いになったわけではない
軽い登校拒否のような状況でしたが、学校に行けば友達がいました。
学校が楽しくない。
と思うことはなかったのですが、今思えば気を使っていたなあ…むりしていたなあ…と思います。
登校をしようと通学路を進んでも、途中で辛くなって家まで(祖母宅)引き返すことも何度もありました。
そのときの祖母の困った顔が今でも思い浮かびます。
このときの気持ちは、純粋に学校にいるのが嫌だったのか、自律神経失調症による思考のせいだったのか、今でもわかりません。
腹痛だけではなかった症状
朝の腹痛から始まり、朝起きにくい、食欲がわかない、体を動かすことが億劫、マイナス思考、などなどあらゆる不調が出てきました。
何もしなくても涙が出てきたり、ぼーっとすることが増えたり、今で言う「病んでいる」状態でした。
思春期も重なり、肌荒れがひどく、鏡を見るたび顔が荒れていて、余計に落ち込むことが増えました。
「死にたい」
そう思い、パソコンで「自殺方法」と検索することもありました。
母親が入院で不在だったこともあり、祖母に不調を訴えることもあまりなく、相談する相手がいなかったのも原因だったんでしょうね。
祖母と病院へ行く
上記のように不調だらけだったわたしを見かねて、その時一緒に過ごしていた祖母が、深いことは聞かずに病院へ連れて行ってくれました。
いえ、当時はいろいろ聞かれていたのかもわかりませんがわたしには響いてなかっただけかもしれません。
祖母が調べてくれたようで、近くの病院へ行ってみやん?お腹痛いの治さなあかんやろ?と提案してくれました。
病院といっても女性専用の内科や精神内科のようなクリニックです。
そこの先生は話しやすい女医さんでした。
今の症状を話したり、今までの生育環境なども話しました。
カウンセリングのような感じですね。
親が離婚していることや長女であることなど自分のすべてを話しました。
(この話も追々記事にしていきますね^^)
すべてを話し、聞いてくれて一言「今まで頑張ってきたんやね」
それまで溜めていた涙が一気に溢れてきて、生きてていいんや。と自分の今までの苦労というか生き方が報われた気がしました。
話をしたことで半分以上救われた
病院で先生に今までのわたしをすべて話したことで、「聞いてもらった」「頑張ったと認めてもらった」「今までの生き方を肯定してくれた」と感じました。
中学2年生ですのでまだまだ若かったのですが、幼少期に認めてもらうことが少なかったと感じているわたしにとって、希望になりました。
聞いてもらうことで今までの暗い気持ちに晴れ間がさしたような感覚になったのです。
聞いてもらうだけで、です。
説教や言葉は要らなかった
話をきいてもらったことで自分の思いが言語化でき、そしてそれを認めてもらうことで、自分の心の中が整理されていく感覚になりました。
何に苦しんでいたのか、
何が嫌なのか、
何を頑張ってきていたのか、
そしてそれが正しかったのか。
人それぞれの悩みがあると思いますが、わたしの場合は、幼少期の家庭環境の変化や長女としての責任感などのストレスが積もり積もって当時の不調につながったのではないかと言われました。
そしてついた診断が「自律神経失調症」でした。
自律神経失調症と診断されてから
その後は、処方された薬(確か漢方だったかな?)を飲みつつ、ストレス発散できるように心がけました。
一番記憶に残っているのは、祖母とサーカスを見に行ったことです。
「手を叩いて拍手したら嫌な気持ちも吹っ飛ぶやろ」と誘ってくれ、サーカスを見に行きました。
サーカスを見た。ということよりも、わたしの身を心配して誘ってくれた。ということのほうが嬉しくて、「絶対元気になってやる」と誓ったことを今でも覚えています。
本当に、祖母には心配掛けたけど感謝しています。
自分を見つめ直すきっかけになった
実は、このときに診断されてから治療していても、何度か「病む」時期がたびたびありました。
しかし、このときにカウンセリングしたときのことを思い出し、「自分は頑張っている」「頑張ってきたわたしはすごい」「体を壊すまで頑張ってたんや」と自分を認める気持ちも思い出すようにしていました。
この経験がなかったら、生きるのが辛くなってきたときにますます自分へ厳しい気持ちが強くなっていたと思います。
生活習慣を整える
自律神経失調症と診断されてから、心がけていることは、「生活習慣を整える」です。
一番重要なのは「睡眠」ですね。
独身のころはつい遅くまで起きていて夜ふかしし、朝ではなく昼間で寝ている、ということも多かったですが、そうするとすぐにマイナス思考になりいろいろなところでガタがきます。
今、子育てしていて自律神経失調症を再発していないのも、子どもと同じく規則正しい生活を送っているからではないかと思っています。
関連記事:2人育児ワンオペ&ワーママの朝型派タイムスケジュール公開します
朝5時に起きようとは言いませんが、朝に起きて太陽の光を見るだけでも違うと思います。
基本的な生活習慣を見直すことで改善されることもありますので、試してみてもらえたらと思います。
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まとめ
長々とした記事になってしまいましたが、参考になりましたでしょうか?
中学2年生のころは不登校のひととして学校で認知されていたみたいで、学校の先生からも電話がきたことがありました(笑)
今では、子育てしていて自己肯定感も高まっているので、凹むことはあってもずっと落ち込むということはなくなりました。
今、昔のわたしと同じように悩んでいる方がいらっしゃったら、この記事を読んだらすぐに「あなたの話を聞いてくれる人」を見つけてください。
身近にいなければ、わたしのように病院へ行ってもいいし、ココナラ というサイトではお金はかかりますが(30分3000円程度)話を聞いてくれるコンテンツもあるようです。
病院へ行くのが億劫な人でも診断料ほどで話をきいてくれる良い時代になりましたね。。
あなたのしんどい気持ちが少しでも楽になりますように。
最後まで読んでいただきありがとうこざいました。